少し前に、ふと思った事。
人が、何か「私はこう思う!私はこういうのをやりたい!」って言った事に対して、
他人が「私はそうは思わないな~」
「ちょっと違うなぁ、それは趣味じゃない」
とか思うのって、とても当然なのだと。
むしろ同じ事考えてる方が稀で、意見が違って当たり前なのだ。
意見が違うのは「問題ではない」のだ。
だからこそ、一人ひとりが、
自分がやりたいことを自分が善いと思う形でやることが大事だと思う。
誰か雛型になる人が居て、
後に続く人がそれの劣化したコピーみたいになるのが、
つまらないなぁと思ってる。
なんのためのアデプトか?と。
そういうのも、一人一人のやり方で
一人一人が、自分の好きにやればいいのだけど。
もやもや思う自分がいる。
それでも出てくる自分ならではの色が、その人の個性だという見方もあるけど。
もっと尖ったのが好きだ。
もっと荒削りでも、その人らしさが滲む表現が好きだ。
じぁあ、自分はどうだろう。
尖っていきたいけど、そこまで表現できなくてもやもやしているのが現状ではある。
自分は本当はどうしたい?
もっと自分を表現したくて!
自分は、自分が惚れる様な自分でいるか?
私は私が性格悪くても、鬱ってても好きだけど。
もっと凄いし素晴らしいし、面白いことできるって信じてる。
諦めても迎合しても、恐ろしい事に人生は続く。
感覚を研ぎ澄ました上で、更なるカオスに飛び込むのだ!
今?
今!
自分の中に、かなり矛盾した要素が乱立していて。
それを過去に他人から責められたし、自分でも責めていた。
でも、何処まで行っても直らないし、むしろ直さなくて良いとしたら。
何も問題ないじゃん?
やっちゃえば良いし、もうやるだけだ。
やっと納得できた氣がする。
誰かから追い立てられるのは嫌いだから、
自分で自分に追い風が吹くように、
自らに神風を贈ります。
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埼玉県蓮田市
ヒーリングルーム∞エタニティ
小峰朋子